永久なるシンクロニシティ。


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日本語では、進化を「ひと皮むける」や「殻をやぶる」といった現象で表現する。通常、殻をやぶるのは雛である。無論、おじさんが殻をやぶってもよいのだが、そのような自然現象を私はあまり視たことがない。ところで、殻がやぶれるには親鳥が殻をつつけばよいのか、それておも、雛が裡からつつけばよいのか。私のような宇宙の凡てを人まかせ主義者にとっては親鳥派の前者が望ましいが、自己啓発書なるものを読み漁っている方には、雛成長型の後者がよいのかもしれない。

啐啄同機(さいたくどうき)。

あまり識られていない言の葉であるが、これは雛が殻をやぶるのと親が殻をやぶってあげるのは、同時であるという意味になる。あんまり殻の話をしていると、心がカラカラ空っぽになってしまうわとまたハイカラさんに叱られてしまうから、甘々な雨乞い師の話をしよう。天氣予報士の依田さんがなんとおっしゃろうが、雨乞い師は存在する。昔、或る雨乞い師にインタビューするという粋な企画があった。そのなかのひとつに、・あなたが天に乞うから、雨が降るのか。それとも、雨が降るから、あなたは天に乞うのか。という質問があった。すると、雨乞い師は半分あたっていて、半分はずれているとこたえた。すなわち雨乞い師の肉軀感覚では、乞いと雨は同時ということであった。因果関係を視たとき、そこには時間的なズレが生じ、物事の順序がうまれる。そして、因果を果因、果因を因果、因果を果因、果因因果、因果果因、果因因果因果果因果因因果……と無意味をくりかえすうちに、やがてそれらは同機となり、殻に面影がヒビいるのである。