『高次の工事』


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   のんびりと動くナメクジを眺めていると、ふと人はナメクジよりも高次元の存在なのだと過信しがちだ。否、じじつ高次なのかもしれない。この感覚の延長上には、神が人を導くという行為と、人がナメクジを導く行為との相似律がある氣がする。つまり、宇宙から視れば、人こそが不自由なナメクジである。

   ナメクジを人たらしめるためには、どのようなメタの音連れを渡せばよいのだろうか。そもそもナメクジは人になれ、人は天使や神になれるのだろうか。そのような可能性のひとつに、性高次説とでも云うべき、視点があるとおもう。もともと高次元であった何かが、監獄とでも云うべき五感にとじこめられ、クンヴァファカーなる制御装置を仙骨につけられたということである。このグルジェフ的觀点からは必然的に、ナメクジをナメクジたらしめているもの、人を人たらしめているもののブロック解除を導きだせる。

   人の仮面をつけて遊んでいたら、うっかりとれなくなって、そのまま忘れてしまった。この惑星の人には、このような人でなしが少なくない。