『茶とRaday』


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 過日、ハンガリーのRaday博物館で薄茶を点てさせていただく機会を頂戴した。日本からは釜と結界だけを持っていき、あとは現地でという「ないなりの無責任さ」を前面におしだしてドーハ経由でブタペストへ伺った。ドーハの悲劇とはよく云ったもので、そこから荷は予定どおりにブタペスト、人は不条理にもローマという事態に陥り、結局は結界だけがなぜかイタリアに渡り、現地入りという奇妙な情態に陥る。結界とは茶道で用いる竹の境界線のことを云い、私の師である吉田宗看先生につくっていただいたものである。あろうことか、そのような貴重な竹の結界がなぜかローマにひとり取り残され、博物館での茶がはじまったのである。

 館長夫人の芭蕉話からはじまった異国における文化の祭典は、無数の交差美を編んでは、異文化交流の花をひらいていった。たしかな藝術家の歩みというのは総じて地味である。それは五十何某にして、世界各地の美術館や博物館に書が収蔵されている野尻泰煌の書も例外ではない。しかしその静寂さが、重厚な歴史を背負ってきたハンガリアンの心に沁み震えるらしいのだ。派手な欧米化に塗られた五月蠅き近代地球において、この結界の文化的編集は眼をひいて仕方がない。

 タイコの傍にテンコあり。

 野尻先生の奥さまがそっと先生の耳もとでささやかれた言の葉である。靈的にも導かれ、書の傍らで茶を無心に点てつづけるものもたまにはよいものである。茶碗は泰煌先生三十九歳のときの黒茶碗『架け橋』を使わせていただき、そのまま架け橋はラダイ博物館に収蔵された。次にこの茶碗で点てられるのは、ずいぶんとあとの世代になることであろう。先生の愛妻が亡くなられた直後の作品になる。また水指ならびに建水は博物館のご好意で西欧の古い作品を地下倉庫から選ばせていただいた。茶道の寸法にあうものをという基準でご縁を頂戴したのだけれども、こちらも黒茶碗との架け橋のロールを担っていたとおもう。さすがに脚がしびれたので、この辺で。

※写真の男性は博物館の鉱物担当職員で、あまりに鉱物話が盛りあがり、大使がいらしていたのに氣づかず、鉱物に夢中になっていたところ、まとめてあとで叱られた同志である。

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