『エンドロー夢:おとつい解脱して……。』


1471880_611241055589161_119295512_n   悟りなるものがある。昔の人は悟りのためになら、敵百万いようとも我ひとり行かんなる氣概があった方も少なくなかったであろうが、ゆとり世代よりかなり年上の私の世代を見渡しても、もはや悟りよりサドルを重視する人のほうが多い。そもそも悟りとは「あの人は悟られた」とたしかな人から云われるものであるのに、本屋の新刊を眺めていると、自称悟りが多くてつい苦笑してしまう。
   そんななか小生は一昨日、「ついに君は悟ったのだね」と或るたしかでない男から泪ぐまれた。一昨日と云えば、珍しく夢の中味を憶えていた日である。厠になかなか年月の経った遺体がふたつあり、外に居た父に「そろそろ遺体を綺麗にしないと、うちらが殺ったとおもわるじゃん」と話した短編夢であった。夢診断的には、遺体と厠で脱皮を意味するそうである。遺体ふたつということで、私はふたりであったということになる。そんな新月のはじまりであった。
   私には悟りはわからないけれども、脳が囚われているのだとすれば、それは頭蓋骨のせいであろう。特に頭蓋骨中央に坐す蝶形骨がかたまった日には、人は夢幻のなかで飼われる可能性が高い。おそらく身に個なるものは存在しない。新月を視たときに、月とともに己も儚く消える存在でいたいものである。夢は時折、エンドロールの役割を担って降ってくることがあるということだけ、頭の片隅に入れていただけたら幸甚である。

 

※追伸

蝶形骨の整体をやらせたら天下無双という整体師を識っておりますので、もしご興味がある方がいらっしゃれば、お問い合わせください。ご紹介させていただきます。